3. 精神疾患の治療
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1. 精神疾患の治療と患者の回復
1-1. 個々の患者の生活事情に配慮すべきこと
精神疾患の発症や経過は、その人の生活背景と密接に関わっている事が多い したがってその治療においても、単に医学的な治療を原則に従って提供するだけでなく、その人の生活事情を考慮に入れた治療のあり方を工夫する必要がある
また、精神疾患の治療は生活を支える福祉的援助と不可分であり、精神保健福祉の視点が常に必要とされる
精神症状が生活上の問題の表れである例は多く、そうした問題を解決することによって精神症状が自然に消退することも珍しくない
逆にそうした問題が解決されなければ、治療がいたずらに長引くこともしばしば起きる
1-2. 必要な時間をかけて治るのを待つこと
精神疾患の治療においては、薬物療法が劇的に奏効して短期間に病気が快癒することもあるものの、長い時間を書けて健康のバランスを回復していくケースが実際には多い
医者が患者を「治す」というおりも、患者が「治る」のを医療者が手助けするといったモデルのほうが現実に近く、それだけに患者が主体性と自己効力感を維持しつつ養生できるような配慮が求められる
1-3. 薬物療法と精神療法は相互補完的なものであること
両者は相互に対立するものではなく、互いに支え合い補完しあうもの
昭和初期は有効な治療法もなく、入院させても医療行為の手段が乏しく、そのためにカルテも薄かった
1950年代に抗精神病薬が開発され、統合失調症などに対する薬物療法が行われるようになった その処方内容がもれなく記載されるようになったため、カルテは急激に厚くなり始める
数年遅れて第二の節目が認められた
薬物療法によって症状が改善した患者に対して、個人・集団の精神療法や作業療法など、以前にはなかった様々な働きかけが開始され、その詳しい記載によってカルテがさらに分厚くなった このことからも分かる通り、統合失調症は治療薬が開発されるまでは精神療法の歯が立たない難病であった しかし、薬物療法によって症状がおさまり患者との意思疎通が回復してくると、その成果を踏まえて精神療法を行うことが可能になった
薬物療法と精神療法の間には他にもさまざまな形での相互作用があり、互いに補い合って働いている
1-4. 人間関係こそ最良の薬
精神疾患からの回復にあたっては、良好な人間関係に裏づけられた日常生活のなかでの支援が、医療の提供する治療にまさるとも劣らぬ力となることを常に銘記しておきたい
2. 薬物療法とその他の身体的治療法
2-1. 薬物療法の発展
薬物療法の本格的な歴史はまだ浅い
薬草による治療は古くから行われていたが効果は限られていた
20世紀に入ってバルビツール酸が発見され睡眠薬として重用されたが、あまりに強力であり誤用や乱用の危険の大きなもの 1952年、クロルプロマジンと呼ばれる薬物が統合失調症の幻覚や妄想を抑えることが報告され、これが本格的な精神科薬物療法の幕開けとなった その後、クロルプロマジンに続いて多くの抗精神病薬が開発され、統合失調症は外来で治療できる疾患となっていく 統合失調症は精神科の入院患者の過半を占めていたため、その外来治療が可能になったことにより、精神科病床の必要性が大きく減じることになった
この時期以降、欧米では精神科病床数が顕著に減少し、病院においても従来の閉鎖的処遇から開放的処遇への転換が進んだ
その後、抗精神病薬に続いて各種の治療薬が次々に開発され、臨床に応用された
表3−1 向精神薬とその分類
種類(化学構造)
主な効用
幻覚や妄想を抑える
興奮を鎮静する
統合失調症の再燃を予防する
適応となる障害・症状
各種の幻覚妄想状態
主な副作用
種類(化学構造)
主な効用
適応となる障害・症状
主な副作用
副交感神経遮断作用(便秘, 口渇, 不整脈など)
眠気
種類(化学構造)
主な効用
適応となる障害・症状
さまざまな原因による不安症状
主な副作用
眠気、脱力、薬物への依存
種類(化学構造)
主な効用
睡眠を促進する
適応となる障害・症状
主な副作用
眠気(翌日へのもちこし)、脱力、薬物への依存
種類(化学構造)
主な効用
適応となる障害・症状
主な副作用
眠気、脱力
種類(化学構造)
主な効用
適応となる障害・症状
主な副作用
眠気、脱力
これらの薬は偶然に発見されたものが多かったが、そうした薬が作用するメカニズムを検討することにより、精神疾患の発症メカニズムが大いに進んだ
このようにして20世紀中頃以降、薬物療法の発展に刺激された生物学的な方向からの精神疾患の研究が盛んになり、現在に至っている
2-2. 向精神薬とその特徴
ヒトの精神活動に影響を与える物質の総称
酒も覚醒剤も向精神物質の一例
向精神物質のうち精神疾患の治療に用いられるもの
向精神薬はその特徴にしたがって表3−1のように分類される
薬という異物が人体にもたらす効果のうち、人間にとって好ましいもの
好ましくないもの
一般に薬には必ず副作用がある
何が主作用であり何が副作用であるからは、時によって異なることがある
薬の作用と副作用をよく比較検討し、利益の方が大きいとの判断に基づいて薬を用いるのが正しい姿勢といえる
漢方薬は西洋医学とは異なる独自の治療観と経験則に支えられ、個々の患者の事情にあった体質改善を図るもの
精神科臨床においても期待され利用が広がりつつあるが、時として有害な結果をもたらすことは他の薬剤と変わりがない
向精神薬を精神疾患の治療に用いる際、薬の選択は病気の種類よりも、症状に応じて決まることが多い
抗精神病薬は幻覚や妄想などの精神病症状を抑える作用があり、統合失調症の治療に不可欠であるが、他の病気でも幻覚や妄想がある場合には用いてよい また抗精神病薬には強い鎮静作用があることから、躁病エピソードの治療にも用いられる このように向精神薬は症状に応じて選択され、さまざまな疾患に広く使用されるのが通例
ただし似たような症状であっても疾患が違えば、必要とされる用量や服用スケジュールが異なる場合があるので注意しなければならない
前述の通り、薬は服用による利益が有害作用のリスクを上回るとの判断に基づいて用いるべきものであるが、疾患の種類もまたこうした判断に影響を与える
たとえば統合失調症の診断が確実な場合には、抗精神病薬による薬物療法を速やかに行うことが強く求められる
統合失調症の場合、抗精神病薬の治療効果は確実な根拠によって立証されているうえ、薬物療法に代わる他の有効な治療法が存在せず、仮に未治療で放置するならば病気が進行して深刻な結果をもたらす危険が大きいから
薬物療法の必要性を判断するポイント
薬物療法の効果が立証されているか
他に代わり得る治療法があるか
治療しない場合のリスクはどれほどか
こうした観点から考えた場合、代表的な精神疾患に対する薬物療法の必要性は表3-2のように整理できる
表3-2 向精神薬の必要性
必要性・有用性: 原則として必要
備考
他に有効な治療法がなく、放置すると予後不良であるため、適切な薬物療法が最優先となる
必要性・有用性: 多くのケースで必要
備考
気分の波を予防して生活を安定させることが望ましく、薬物療法を積極的に考慮すべきである
必要性・有用性: 多くのケースで有用
備考
症状を軽減し回復を早める効果が期待される。軽症例では認知療法も同等に有効となる 必要性・有用性: 多くのケースで必要〜有用
備考
想起にパニック発作を抑制し、広場恐怖や抑うつ症状の進展を予防することで予後の改善が期待される 必要性・有用性: 一部のケースで有用
備考
薬物療法以外の治療法を優先する。抗不安薬は短期的な服用や頓用であれば有効な場合がある
表3-3 向精神薬の特徴
薬理学的特性
精神症状を標的とするため効果の評価が難しく、身体的な副作用のほうが目立ちやすい
作用・副作用の個体差が大きい
服用開始から効果発言まで時間のかかるものがしばしばある
心理社会的特性
医師と患者の関係に左右されやすい
患者の生活や心理の状況に左右されやすい
偏見や過度の期待をもたれやすい
2-3. 向精神薬の作用と神経伝達のしくみ
向精神薬の大部分のものは、脳内の神経伝達を促進または抑制することによって作用を発揮する https://gyazo.com/781be50f1c1c7d5f94843a4244399a96
樹状突起と神経突起は他の神経細胞との間に神経接合部(シナプス)と呼ばれる構造を形成し、樹状突起は情報の入力路、神経突起は出力路として働く 神経細胞は樹状突起を介して入力信号を受け取り、これを処理して1個の出力信号に変換し、神経突起を介して出力信号を他の細胞に伝える こうした情報伝達は、神経細胞内では膜電位の変化によって電気的に行われるが、シナプスにおいては神経伝達物質と呼ばれる微小な物質によって化学的に遂行される ある細胞の神経突起の先端から放出された神経伝達物質は、隣接する細胞の表面にある受容体と結合し、これが引き金となって隣接する細胞の内部に一定の変化が引き起こされる 神経伝達物質と受容体との組み合わせはカギとカギ穴にたとえられるように厳密に決まっている
一方、同じ神経伝達物質に対してタイプの違った複数の受容体が存在しており、このような受容体の多様性によって多彩なパターンの情報伝達が可能になる
神経伝達物質と受容体の結合は一時的なものであり、神経伝達物質はいずれ受容体から離れ、再吸収されるなどしてシナプスから除去される
神経伝達物資としては、これまでに100種類近くの物質が発見されている
2-4. 薬の効き目の検証
薬の効き目に関しては、しばしば心理的要因が重要な影響を与える
こうしたプラセボ効果は治療上、重要な意義をもつものであるが、個々の薬理学的な働きを評価するうえではノイズの一種 プラセボ効果は一般に思われている以上に大きなものであることが多い
このため、新薬の有効性を評価する際などにはプラセボ効果を除去するために様々な工夫が必要となる
薬のヒトの対する効果を検証する際には、対象者を服薬群と非服薬群の2群に分けて効果を比較するのが常道であり、このとき両群間に年齢・性別・身体条件・健康状態などの系統的な差が生じないよう留意せねばならない
個々の被験者に渡される薬が真の薬か偽薬であるかは、被験者自身はもとより薬を渡す担当者にもわからないようにしておく
このように厳重な注意を払って得られたデータを統計学的に分析し、十分な有意差が認められた時にはじめて薬が「効いた」と結論される
なお、新薬の開発にあたっては治療上の有効性ばかりでなく、副作用や他の治療薬剤との相互作用についても十分検討する必要がある
副作用や相互作用に関する情報は、薬の発売後にも随時更新され現場に周知されるので、臨床家は常に注意を払っていなければならない
2-5. 電気ショック療法(電気けいれん療法、電撃療法)
以前行われていた各種のショック療法や脳手術は向精神薬の登場とともに廃れたが、電気ショック療法は有効性と安全性が再評価され、うつ病や統合失調症の治療に活用されている
頭部に電極をあて100Vの電圧で数秒間通電するもので、そのまま行えば患者はてんかんの大発作(全身強直間代発作)と同様の激しいけいれん発作を起こし、意識を失う 統合失調症などの患者が何らかの理由で大発作を起こすと、精神症状が改善する例のあることが経験的に知られており、これを人工的に起こすという発想から生まれたものだったが、そのまま行えば患者に非常な恐怖をもたらすことは言うまでもない
そこで最近の電気ショック療法では、あらかじめ麻酔によって患者を眠らせ、筋弛緩薬を投与して全身けいれんを予防した上で、ただ数秒間の通電のみを行う こうして無用の恐怖や苦痛を患者にもたらすことを避けつつ、一定のスケジュールで通電を繰り返す方式が実施されている
希死念慮や焦燥感の強いうつ病の治療に特に適する他、統合失調症の緊張型の治療にも有効とされる 修正型電気けいれん療法は、麻酔薬や筋弛緩薬を用いるため、手術に準じた設備や人員が必要であるなど不便な点もあるが、病気や症状によってはもっと活用されてよい治療法
アメリカでは、うつ病の再発予防を目的として、この療法を外来で行っている例もある
3. 精神療法
3-1. 日々の臨床に織り込まれた精神療法的配慮
強力な治療手段によって「治す」というよりも、患者自身の「治る」力が発揮されるよう援助することが適切である場合が多い
そのような過程においては医師や心理療法家の治療的な働きかけばかりでなく、患者を取り巻く人間関係のなかで与えられる日常的な励ましや支えこそ、回復の後押しをするものとして重要であろう
わが国の都市部では精神科などの診療所(クリニック)が急増した
都市部では駅前のビルの一室など通院に便利な場所に開業する例も多く、とりわけ外来診療はこうした診療所が主たる場所になっている
こうした診療所をはじめて訪れる際、患者の側には症状としての精神的な不調に加え、未知の場所へ出かけて、初対面の相手には私的な事情を開示することへの不安があるだろう
そうした心理に配慮して不安を和らげることには、重要な治療的意義がある
礼儀正しく明るい態度で親切に患者に接することは、モラルやマナーとして重要なばかりでなく、その後の関係を良好に保ち治療効果を増すためにも欠かせない心得
そのような配慮をもって開始された診療は、しばしばその構造自体が治療的な意義をもつ
医師やカウンセラーなどの専門家が、専門的な技術と知識を携えて援助にあたってくれることで、患者の不安はかなりの程度低減する
さらに、医療職や心理職には厳格な守秘義務が求められ、心理臨床の場面では道徳的な批判よりも共感的な理解が優先されるから、患者や来談者は他所では明かせない悩みや相談を安心して語ることができる 「診療においては薬よりもまず主治医が処方される」
診断が進むにつれて問題の所在が明らかになり、診断や治療方針が告げられることも、同様に不安を低減して自己効力感を高める効果を持つ SDMの考え方に従って診療が行われるならば、そうした効果はいっそう増すであろう 3-2. 薬物療法の心理的意義
診療の終わりにあたって薬剤の処方が行われることが多いが、これまた大きな心理的効果を伴うもの
実際の薬の効果は本来の薬理効果だけでなく、服薬にまつわる心理的効果が加わって発揮される
外来診療の場合、処方された薬を患者が持ち帰って服用する際には、診療にあたって交わされた会話を始めとして、通院にまつわる日頃の経験が自ずと連想されるだろう
これを服薬の度に繰り返すとすれば、それによってプラセボ効果の程度や方向が大きく左右されることに不思議はない
新薬候補の効果を検証する際にはプラセボ効果はノイズであり、ランダムサンプリングやダブルブラインドなどの手法を使って慎重に除去せねばならない
しかし臨床の場においては、処方の効果を高めるためにプラセボ効果を適切に活用する工夫が求められる
一方、統合失調症のように長期にわたる服薬が必要となる病気では、しばしば患者側の拒薬や怠薬が問題になることがある こうした場合、なぜ薬を飲みたくないのかという患者の心理に焦点をあてることにより、患者のもつ不安や治療関係に対する不満が浮かび上がってくることがしばしばある
このように薬物療法には、薬というツールを用いた医療者と患者のコミュニケーションという側面があり、これを活用して治療効果を高めるのも精神療法的な実践の一部
3-3. 精神療法(心理療法)のさまざまな流れ
心理療法の一流派としてばかりでなく、心理臨床の共通の土台として広く受け入れられている 精神科診療においては、重篤な精神疾患のために「来談者中心」におさまらないアプローチが必要とされることも多いが、傾聴や共感的理解といった基本的な考え方は精神科臨床にも大きな影響を与えてきた 近年の臨床場面では、もともと健康水準の比較的高い人がストレス状況のなかで一時的な不調に陥る例が増えており、そうしたケースではとりわけ来談者中心療法の応用範囲は広い
ヒトの精神構造やその発達に関する精緻な理論をもち、とりわけ無意識の欲動を重視して精神活動を読み解こうとするもの 深層心理学的な解釈を駆使して、精神疾患の不可解な症状や患者の行動を説明するところには大きな魅力があり、とりわけ神経症の臨床と研究は一時、精神分析の独壇場の観があった 一方で精神分析的な解釈は客観的な根拠を示すことが難しく、しばしば独断に陥りがちとなる欠点があった
このため20世紀後半に生物学的精神医学が台頭するにつれ、以前の勢いを失ってきている
フロイト流の寝椅子を用いた自由連想法を本格的に行う治療家はわが国では少なく、精神分析の考え方を取り入れた力動的精神療法の形で、主として心因性疾患の治療に活用されている 外部から観察可能な行動に焦点をあわせ、問題行動の修正を図るもの
対象者の行動を十分観察して現状を把握し、望ましい行動に対しては強化子(報酬)を与え、望ましくない行動に対してはこれを手控えるといった平明なやり方をとる 最近では、かつて難治とされた強迫性障害に対しても有効性が示されている 個人の状況認知パターンに注目し、これに働きかけていく治療法
同じ状況や出来事にさらされても、その状況や出来事をどう認知するかによって、ストレス反応のあり方が違うという観察が出発点 たとえば自分にとって不利な情報を選択的に取り込むといった傾向が見いだされた場合には、中立的な方向に認知を修正するよう反復練習する
認知療法は特にうつ病の治療や予防に対する効果が注目され、軽症例では抗うつ薬と同等ないしそれ以上の効果があると指摘されている わが国では本格的な認知療法を行う医療機関はまだ少ないが、多くの治療者が認知療法的なアプローチを日常診療に取り入れているものと思われる
こうした精神療法は医師自身が行う場合もあり、また医師の指示のもとに臨床心理士などの心理スタッフが行うこともある
医師が薬物処方とケースの全般的管理を担当し、心理スタッフが精神療法(心理療法)を行う方式 こうした場合に医師と心理スタッフの間で十分な情報交換と意思統一が必要であることは言うまでもない
精神療法は診療室のなかで行われるものばかりではない
こうした場合にも、薬物療法と精神療法を柔軟に組み合わせて進めることが重要
患者本人や家族に対して、病気の症状・経過・予後や治療方法・治療薬など、必要とされる情報をわかりやすく伝達することを指す
通常診療の一部として日常的に行うのが本来の姿であるが、現実には必ずしも十分に行われていない場合が多く、その重要性があらためて強調されている